1448 フジコエフフジオ
藤子・F・不二雄 (漫画家)
経歴/プロフィール
藤子・F・不二雄(フジコエフフジオ)は1951年にデビューした漫画家。男性、O型。
小学校5年の時に安孫子素雄と出会う。高校生の頃から二人で雑誌へのアマチュア投稿をはじめる。当初は別々に投稿していたが、1950年末頃から共通名義での投稿に移行した。1952年新聞連載の「天使の玉ちゃん」でデビュー。1954年に上京して、ほどなくトキワ荘に入居。寺田ヒロオらと新漫画党を結成。1955年には赤塚不二夫、石森章太郎を加え、第2次新漫画党を結成。1964年に『少年サンデー』に連載を開始した「オバケのQ太郎」が大ヒットし、アニメ化されて、児童漫画の代名詞ともなる。以後、一貫して、子供たちの日常をモチーフとした空想的な作品を創り続け、世界的にも稀な漫画作家となる。1970年代からは多数の大人向け短編を手掛け話題となる。代表作に単行本7500万部の大ヒットとなった「ドラえもん」、「パーマン」(旧作は安孫子との合作)、「ウメ星デンカ」、「21エモン」、「キテレツ大百科」など。1986に胃癌手術で休養し、1988年1月に安孫子とのコンビ活動をやめ独立。「藤子スタジオ」を藤子不二雄Aとなった安孫子素雄が継ぎ、藤子不二雄Fとなった藤本は新たに「藤子プロ」を設立した。1989年、「ドラえもんのび太の日本誕生」連載中に石ノ森章太郎の勧めで“藤子・F・不二雄"に名義を変更。1996年9月23日死去。享年62歳。
デビュー作 天使の玉ちゃん〔1951年〕

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