虫プロ商事
備考/会社紹介
虫プロ商事株式会社は旧・虫プロダクションの子会社。虫プロが負債を抱えて経営上の問題を抱えたためにその打破のために、版権部と出版部と営業部を虫プロから独立させる形で1966年7月27日に設立。虫プロ商事社長には虫プロ専務取締役の今井義章が就任して、池袋駅近くのビルで発足。『鉄腕アトム』のファンクラブ会報などを制作、海外販売などの営業、グッズの著作権管理を行った他、赤字体質の虫プロの手本になろうとテレビアニメ『アニマル1』や特撮テレビ番組『バンパイヤ』など制作にも挑んだが、『アニマル1』は赤字、『バンパイヤ』は大赤字の結果に終わる。会社としては出版業中心の体制を推し進め、月刊雑誌『COM』『月刊ファニー』、児童向けの漫画レーベル『虫コミックス』を創刊したが、『月刊ファニー』は編集長が交通事故死して廃刊となり、これに伴う編集部門の人員整理が1970年5月上旬から6月中旬まで激しい労使紛争に陥り業務も停止状態となり赤字となる。この責任により社長は今井義章から手塚治虫へと交代した。1971年2月頃に企画制作部長に就任した西崎義展が事実上の社長代理となって実権を掌握。出版拡大方針で人員を増大、組織の統制化、不合理な原価の改善を図るが、性急な改革が専横状態となり支持を得られずに5月には資金繰りが悪化。一部業者から取引停止を受けたり不当に高い買入を強いられたり、従業員の一部は私利を図ったり出勤状態が乱れ、当時40名の従業員により結成された労働組合による労働争議が発生するなど経営は混乱状態になった。この間の9月に創刊した『てづかまがじんレオ』などの返本率は7割に達し、1972年4月には3億1千万円の負債を抱えて第1回の債権者集会が開催された。債権者委員会が経営にあたることとなり、代表取締役である手塚治虫は漫画執筆に専念して印税を委員会に入金することなどが決定された。1973年には出版体制立て直しのため『COM』『ファニー』の復刊もされたが、資金繰りが改善することはなく、政府の金融引き締めの影響もあって、1973年8月18日に2回目の不渡り手形を出して倒産[20]。負債額は1億2千万円。この信用不安で虫プロ本体も銀行からの融資がストップし、テレビ局からの発注も完全に途絶え、11月に倒産した[23]。同年10月30日には債権者によって破産申立が行われ、1974年1月29日に東京地方裁判所により破産宣告がなされた。
すべてのコミック雑誌
休刊・廃刊になった雑誌も含んだ、虫プロ商事が発行するすべてのコミック雑誌の一覧です。
雑誌名 | 刊行頻度 | 備考 |
---|---|---|
ゲッカンテヅカマガジンレオ 月刊てづかマガジンれお 廃刊・休刊 |
月刊 1971年〜1972年 |
|
ファニー ファニー 廃刊・休刊 |
月刊 1969年〜1973年 |
|
コム COM 廃刊・休刊 |
月刊 1967年〜1973年 |
|
コムコミックス COMコミックス 廃刊・休刊 |
不明 |
|
ベッサツファニー 別冊ファニー 廃刊・休刊 |
不明 |
人物および作品の各ページには「データを編集」というボタンがありますので、クリックすると編集用の画面が表示されます。もし本格的にデータの編集にご協力いただける場合はメンテナンス用のアカウントを発行いたしますので、ぜひご連絡ください。
メンバー募集中