6373 キヤマヨシタカ
木山義喬 (漫画家;洋画家)
経歴/プロフィール
木山義喬(キヤマヨシタカ)は漫画家、洋画家。
父は村長を務め、母は旅館を取りしきる家に生まれる。1904年、19歳の時に洋画家を志して渡米、当時移民の習慣で米国人にも呼びやすいようにと英語名・ヘンリーを名乗る。雑用係として働く傍らサンフランシスコ美術学校に学び、風景画や人物画など多くの作品を描く。1915年から1920年にはいくつかの賞を受賞、ニューヨーク美術学生連盟の奨学金も受ける。1922年に一時帰国、1923年に結婚し、娘が生まれるが1年ほどで離婚、1924年には単身サンフランシスコに戻りスタジオを開設した。油絵を勉強する傍ら、1904年に米国西海岸の街にやって来た自身を含む4人の日本人の1924年までの暮らしのありさまを描いた長編漫画「漫画北米移民史」を描き続けた。1927年、再度帰国。1931年、再びサンフランシスコに戻るが、同年その漫画を「漫画四人書生」と改題し日米両国で出版。同書はアメリカ本の体裁で正確に見開き2頁に白黒12コマ分を1エピソードとする構成で全52エピソード、正味104頁に及ぶ漫画物語が展開され、漫画の吹き出しの中のセリフは、米国人は英語、日本人は日本語の横書きで表されており、当時の渡米日系移民1世から見た国際社会と民族意識が丹念に描かれている。1937年、再々度帰国。以後、日米関係の悪化で再び米国に渡ることなく、1951年死去した。「漫画四人書生」は没後長く日本人に知られることがなかったが、米国漫画研究家によって発掘され、1998年に英語版が、死後50年の2001年には日本語の私家版が刊行された。また故郷の鳥取県日野郡にこの漫画にまつわる石碑が建てられた。
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